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このサイトのタイトル「心のかけ込み寺」について説明いたします。

幼い頃は「先生」になりたい!と思っていました。
小学校の低学年頃です。でも、崇拝すべき先生に「挫折」の念を抱きました。その後二度と憧れる事はありませんでした。一人の教師の「心」に子どもなりの不信感を持ったからです。
でも、人に何かを教えたい!という気持ちだけは、胸の底に夢としてありました。

四角張ったものでなく、何かを伝授したいと考えていたのですが、それが何であるかは掴めませんでした。ある時は、縁側で、ある時は、いおりを囲んで(其処から、自らを庵と名づけました)。又は、寺子屋の様な処で…。
私の「教える」とは、教壇に立つ事ではなく、「知恵」「ヒント」を授けられる大人になる事だったのです。

大それた夢でもなく、大志を抱くものでもありませんが、私にはそれが何物にも変え難い人生の最終目的だったのです。途中の生き様は何も考えず、とにかく我が人生の最終には、そうありたいと言う願望の姿なのでした。

それが今、自分が頑張っている勉強なのだ!と気がつき始めた時、最高の喜びに到達しました。 そして、自分の人生を「本当に幸せ者」と感じました。

この幸せを「様々な事に思い悩む人達」に向けよう。と思いました。

その様な自分の人生に感謝する?想いから、現在は種々の体験と学問と日常の常識を判断し、駆け込む人の話を聞く役目を果たしています。
私の「心のかけ込み寺」とは、人生を思い悩む人には、心を開いて聞いてあげるのが一番良いと考えました。

物事の受け取り方、考え方の違いで救われる方法があるのです。誰かに怒っている人には、相手側に立った人と同じ目線に立つことをお教えします。

もしも、天空から誰かが見ていたら、どの様に考えるかな?等、大した話術ではありませんが、平凡な説明をしながら「宿命百占学」の学問に添った説明をも解き、私なりの知恵をそっと差し出します。

「辛抱しなさい」とも「思い切り暴れなさい」とも言いません。「今は、こう言う時期ですが、来年はこうなります」とか「一月待てば、気持ちが変わってきますから」等、常識を持って淡々と話します。

ただそれだけの事であっても、目の前の相手の顔色が変化を見せてきます。それを観察しながら時間をかけます。顔の艶が良くなり、ほんのり赤みがさすと「気持ちが治まった」という証です。

これが"心のかけ込み寺"の精神なのです。

本来は、道場の様な建物が欲しいです。悩んでいる人は心身共に疲れ切っています。その様な人を休ませて上げたいのが私の望みです。しかし、広い都会で自分の頭のハエも追え切れない微弱者が、身体ごと受け入れて休ませる余裕はありません。
その様な事で、身の程を考えて、心なら駆け込まれても大丈夫と自信の上で考えたタイトルです。

来世には、古くても屋根のある住まい「かけ込み寺」を用意しておきましょう。
その事はどうぞ来世の私の夢と希望の宿題とさせて頂いて、今生は心だけを引き受け「心のかけ込み寺」で、皆様のご理解を頂きたいと思います。

幾度となく怪我にも遭い病にも倒れ、何度も「三途の川」を眺めましたが、先立った者達に「シッシッ」と追い返されました。しかし、そのお蔭で今日があります。
生きている幸せに感謝しながら、折り返し点を過ぎた自分の余命を考える時、この仕事をしていて本当に良かったと思います。
幼き頃から心の底に抱き続けた夢に少し近づけたと思います。

※ 「寺」とありますが、私は宗教には関係していません。
集団も、人の心であっても縛る事は嫌いです。物事を素直に受けて、争う事もせずに中庸な心を維持出来れば、それが本当の幸せを感じる事が出来ると信じてやみません。

2004/12/17 庵 妃慧

 
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